One Happy Dog
字幕【テキサス親父】イジメによって自殺した米国の魅力的な女性 (via OUTSIDESOUND)
(Source: plasticdreams)
Taken with instagram
(Source: ForGIFs.com)
脱走を諦めない赤ちゃんパンダ (via takemotasan)
C’è sempre qualcuno che si distrae (by Diego Menna)
特にあの「福島原発20キロ圏内の世界」の写真はそうでした。言葉のみでは表現できない世界にカメラを向けた。あの20キロ圏内の写真を公開するかどうか、約一か月間悩みましたが、南相馬市の桜井市長のこの言葉が私に決断させた。「野口さん、あの原発事故で真っ先に逃げたのはマスコミなんですよ。真実を伝えるべきマスコミが逃げたのですから現場で起きている事が世間に伝わらないのは当たり前の事なんです」。
予想通り、写真の公開には賛否両論、様々な意見が寄せられました。「生々しすぎる」「子供が見たらトラウマになる」「見せればいいというものではない」「牛を死なせなければならなかった牧場主の気持ちを考えているのか」など。
またこれも誤解されましたが、私は原発反対を叫ぶためにあの写真を公開したわけではありません。ただ、今後、日本社会がどのような舵とりをするのかは分かりませんが、しばらくは原発に頼っていかなければならない現状もある。火力発電なり、また天然ガス、また新たなエネルギーに移行するとしても、それなりに時間が必要とされる。どうであれ、しばらくは原発に頼っていくとするのならば、私たちは原子力なるものを知る努力を怠ってはならないし、危機感に関しても時間の経過とともに関心が薄まるのではなく、危機感を維持していかなければならない。人々は危機感を維持するのが苦手だ。危機感を維持するためにはエネルギーも必要とするし、また精神的な苦痛や負担から逃れるために意図的に目を反らすことさえある。
そして気がつけば多くの人が、原発事故に対しどこかで他人事のようになっているような気がする。特に原発周辺の人々と全国とでは限りなく温度差が広がっている。それは私自身もそうでした。しかし、あの現場に訪れあの世界を見てしまった。見てしまったが故の葛藤もある。あの悍しい事故を二度と繰り返さないためにもあの現場の世界を一人でも多くの方々に見てほしかった。その上で私たちがエネルギー問題にどのように関わっていくのか。
またそもそも論として私たちがどのような生活を「幸せ」と捉えていくのか。ここが一番大切なテーマ。今まで通りの成長を目指していくのか、または必ずしも成長にはこだわらないのか。そのポイントを抜きに原発の存在の有無を議論してもさほど意味がないように感じます。
また安易に色分けしたがる風潮にも違和感を抱いてきた一年間でもありました。「あなたは脱原発ですか、それとも原発推進派ですか」とまるで踏み絵を踏ませるかのような。一昔前は「右翼」「左翼」と人を色分けしたがる傾向がありましたが、考えてみたら人の哲学や思想をそう簡単に「右」か「左」などと色分けできるわけがない。人も社会ももっと複雑だ。
環境問題にしても「保護か」「開発か」といった議論展開をよく見かけますが、人が生きていく以上は時に開発しなければならない。しかし、その分、どれだけ自然環境に対しフォローができるのか、そのバランスだろう。「開発か、保護か」、「白か黒か」「100か0か」と言った二者択一ではない。
原発に関しても環境保護団体の中にも意見が分かれたりする。例えば気候変動について研究している学者や環境活動家の中からは、「火力発電所は温室効果ガスを多く排出する。原子力発電こそが地球温暖化対策だ」といったような意見も出れば、その反面、「核のゴミはどうするのか」「放射能が漏れたら大気も水も汚染される」といった指摘をする環境保護団体も多い。この分かれる意見に対し、どちらが「正しいのか」「正しくないのか」といった議論になりやすいが、私はそのどちらにも一理あると思う。
また忘れてほしくないのは、多くの国民が支持し誕生した鳩山政権。鳩山由紀夫氏の事実上の国際公約となったマイナス25パーセント。本当にマイナス25パーセントなど実現できるのだろうかと心底驚き調べてみたらマイナス25パーセントへの根拠は「原発」だ。約三割のエネルギーを原発に頼ってきましたが、原発の依存度を三割から約五割に引き上げる事を大前提にした上でのマイナス25パーセントであった。これは別に隠ぺいされていた情報でもない。報道されていた情報でもあり、また民主党関係者にも確認しましたが異議はなかった。つまり鳩山政権、また鳩山氏のマイナス25パーセントを支持していた人たちは結果的にさらなる原発依存を了解していたということになる。「そんな事は知らなかった」と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、その気になれば情報はいくらでも集まる。大切な事は物事を多角的に捉える思考回路。その上で何が本当に正しいのか、人それぞれが熟慮を重ね、周り云々ではなく自分自身の答えを見つけていけばいい。
話は戻りますが、安易に色分けしたくなるような社会の風潮があるとするのならば、社会が社会の限界を作り、また社会自らが思考停止状態を作っているような気がしてならない。
正面下、背中に刺青を入れたアジア系の女性が中国。
絵の左、熱心にまじめに打っているのが日本。
上着を着て横を向いているのがアメリカ。
寝転がってみだらな状態なのが、ロシア。
隣で立っている小さな女の子が、台湾。
これは「北京2008」という油絵だ。
最近、欧米やインターネット空間で、筆者が用いた顔料の
画家は劉湓と言い、カナダ在住の中国人だ。
興味深いのはこの絵のタイトルは北京2008であり、
描かれているのは麻雀を打つ4人の女性¥だが、実は背後 に様々な意図が隠された意味深な絵なのである。
中国(正面下の女性)は場の「東」を鳴いている。これに は二つの意味が含まれている。
一つ目に、中国が「東風」の力を借りて再び巻き返そうとしているということ。
二つ目に、「東風(という)ミサイル」は中国がすでに場に出した有力な武器だということ。
中国の形勢は端から見れば悪くはないが、他の牌がどうなのかは分からない。
そしてその女性は卓の下で小細工を働かせている。
アメリカは胸中に勝算を秘めているような様子で、台湾の方を見て、意味深な表情をしている。
一方で台湾の表情から何かを汲み取ろうと必死になっており、
また一方で視線で台湾に何らかの暗示もしている。
ロシアはもうどうにでもなれというような表情でいるが、実はそうではない。
右足を通じてアメリカとグルになり、また一方で中国に牌を渡している。
ここから、この二カ国は裏で互いに利益を交換しているともとれる。
日本人はただひたすらに自分の牌を見ている。
他の人が何をしているのかを全く知らない。
ただ、自らの牌を打つ事だけに気を留めている。
台湾は中華文明の真の継承者を意図した赤い腹かけ(肚兜)を身に纏っている。
台湾は片手に果物を、もう一方に果物ナイフを持ち、
陰険で憤りを含ませた表情で中国をじっと見ている。
しかしどうしようもない。麻雀に入ることはできないし、最後に誰が勝利しようと、台湾はただ勝者に果物を切ってあげることしかできない。
窓の外の河や薄黒い雲は濃く、両岸(中国―台湾間)情勢の危機、一触即発の様相を暗示している。
とても興味深いのは壁の肖像画で、孫文の髭、蒋介石の禿げた頭、そして毛沢東のいで立ちを拵えている。
四人の女性の服装についてみてみよう。
中国の上半身は裸で、下半身はスカートとショーツをはいている。
アメリカはレースのマントと下着を着ているが、下半身は裸である。
ロシアはショーツしか残っておらず、
日本はすでに何も残っていない。
つまりこれらは各国の情勢を克明に浮かび上がらせている。
アメリカが着ている衣服は端から見れば最も整っており、実力も最も強大である。
その他はいずれも体を隠すこともできないものもある。
しかしアメリカの容貌は光にあふれているように見えるが、しかし実際のところすでに自らのボロを見せている。
そして中国とロシアは確かに容貌は裸ではあるが、重要なのは二者の陰部が隠れきれているところである。
仮にこの局を脱衣麻雀だとしよう。誰が誰に負けて脱がされたのか。
一局目が打たれ、中国が負ける。そして現在のロシアの状態までになる。(ソ連解体と状況は似ている)
アメリカが負け、そしてロシアの状態にまで堕ちる、
ロシアが再び負け、今度は徹底的に何もない状態まで堕ちる。
そして日本は、実はすでに何もない状態に。
ロシアは公正に牌を打っているように見せかけて、実はロシアは中国と牌を交換している、
真面目に打っているのは日本。というのもすでに何もなく、一度負ければすぐに席を立たなければならないからだ。
つまりまとめると、アメリカは最も猫かぶっていて、最も色鮮やかに輝いているように見えるが、実は危機はそこまで小さくなく、もしこの一局に敗れれば、たちまち「親」の地位を失うことになる。
ロシアは双方と裏で手と足を引いており、最も陰険狡猾、状況は解放後の中国に似ており、ソ連やアメリカのような状態に傾く可能性がある。と言うのも自らに力が凝集されておらず、双方がどうなるかによって自らの生存と発展を求めている。
中国の牌の多くは見ることができず、これは中国が多くの実力を隠していることを説明しているのだろうか?しかも卓の下ではロシアと牌を交換しており、またアメリカ人は台湾の表情で中国とロシアが何をしているのかを推測することしかできない。
日本はすでに何も残っておらず、ただ自らの牌を打ち続けることに必死である。
台湾は冷静に状況を見ており、卓の上の4人が何をしているかをすべて把握している、心情は明らかだが麻雀を打つ資格も能力もなく、また話す権利も存在せず、不満を抱いても何にもならない、ただ女性らしくおとなしくし、勝利者に果物を献上する他ない。
勝利者はおそらく中国かアメリカの間に生まれるだろう。この懸念は大きくはない。
しかしはっきりしているのは、アメリカの力がたとえ強くとも、4人が遊んでいるのは中国の麻雀であり、ポーカーではない。
中国人の決まりに従ってゲームを行う。アメリカ人に勝算は果たしてあるのか?
(Source: toronei)
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